江戸時代 | ![]() 江戸時代の末頃になって、庶民の婚礼にも打掛が使われるようになりました。しかし友禅染よりは、刺繍の技法を多く用いられていたようです。 また裏地として、羽二重ではなく奉書紬を使っていたところが目を引きます。 文化、文政の頃、松岡屋吉兵衛が愛宕坂、百坂造りに尽力…。愛宕坂、百坂とは?江戸時代、福井の足羽山(あすわやま)山頂への寺社の登山路は雨が降るとぬかるみ人々が難渋していたそうで、それを見かねて福井特産の笏谷石(しゃくだにいし)を使って階段を造ったのが、現在の愛宕坂や百坂へとつながります。 石像はその時のもので、福井最初の記念の像だそうです。 |
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明治時代 | ![]() 世が文明開化と言われたこの頃には、織りのきものが主流のようで、この打掛も能衣裳のような風合いがあります。 また色調も落ち着いていて、お嫁入りの衣裳としてはかなり地味に感じられます。 |
大正時代 | ![]() 明治の後期になって化学染料が発達し、織物も手軽に染められるようになりました。 それまで草木染に頼っていた友禅染もどんどん拡がって華やかさを増し、いわゆる「ハイカラ」な装いへと変わっていったようです。 |
昭和時代 | ![]() 大正デモクラシーの時代から昭和初期にかけての打掛は、羽二重を使ったすばらしい総模様の友禅です。 白・紅・黒の三重ねで着た一越縮緬の振袖とともに、当時の華やかな様子を偲ばせてくれます。 読売新聞(昭和45年8月11日掲載) |
平成時代 | 2010年 「季刊きもの」冬 第百七十四号掲載![]() |
会社名 |
株式会社 松岡屋 |
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所在地 |
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地図 |
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お陰様で、松岡屋は安土桃山時代より400有余年、呉服太物を商って参りました。
呉服は絹物、太物は麻(苧)や綿物と聞いており、きものや帯、お布団など、いろいろな布や布製品、和小物、寝具類などを扱って現在に至っています。